1億人のビーチフラッグ
皆さんは、1億分の1に選ばれた人ってすごいと思いますか?平凡だなって思いますか?
今回はふと目にした1つのTweetから動画を撮った事について書いてみようと思います。
喋った動画はこちらです
元ネタTweetはこちら
1億人が参加するビーチフラッグで優勝できたらとてつもない快挙だと思うんですが、これを読んでいる皆さんはそれを突破して受精しこの世に生を受けていますのでスーパーエリートです
— 緋色 (@Ig33B1) 2020年7月16日
ここでビーチフラッグ1億分の1ってつまりは受精の事だったんですけど、この考え方ってすごいなって思ったのは、僕らはもう既に生まれた時点で誰もが全員1億分の1の超スーパーエリートなんだって事なんです。
そう思うと、そっか、みんな色んな事に悩んでいるけど、実はみんながみんな超スーパーエリート状態な中だから、その中で悩んでいるんだ!って思ったんですね。
もっと言うと、要は誰しもが抱えている悩みって実はエリート学校に入った人が、成績に伸び悩んで苦しんでいるのと同じ状況なんだなって事です。
エリート学校で成績が思うように上がらないのってまあ、言ってしまえば庶民の感覚からしたら当たり前じゃないですか?だってみんな周りもエリートなんですもん。
でも、それってエリート学校の中に入っている人達って意外とそこに気が付けないと思うんですよ。
一昔前にあったエリートコース歩んできた東大卒の新人が一回の失敗で心折れる的な話と一緒で、結局その人が歩んでいた道とその周りの環境しか人間誰しも知り得ない訳じゃないですか。
だから、そうじゃない世界に対して積極的に自分でアンテナを伸ばして情報を拾いに行く、つまりは、高貴な貴族、王族の人がお忍びで町人に化けてその生活に紛れるみたいな事しないと、まあ、庶民の感覚って分からない訳ですよ。
今だったらネットやSNSが大きく育ってきたので他の世界を覗くのって昔に比べて割と容易になったと思うんですが、ちょっと前までは結局知っている人同士でしか情報がシェアされてなかったりで、自分の周りの環境以外の状況を客観的に知る術が限られていたと思うので、そう考えると今はとても恵まれているなって思います。
さて、1億人のビーチフラッグを獲得した僕たちは、実は生まれながらにして超スーパーエリートだという事がわかりました。
では、なぜ、その超スーパーエリートである僕たちは悩んだり苦しんだりするのでしょうか?
答えは、エリート校の成績に伸び悩む人と一緒で、自分の状況を客観的に把握出来ていないからだと僕は思います。
要するに既にエリートなのですから、周りも同じくエリートなんですよ。
だから、伸び悩んだり思うようんいかなくて当たり前なのが人生なんですよね。
それを悩んで苦しんでいる人は、生まれたのは当たり前だとか、今の状況に甘んじていてはだめとか色んな言葉がきっと自分を責めたり刺したりしてきっと自分で自分を傷つけちゃっているんだと思います。
でも、よくよく考えたら、エリート学校に入った時点でその人は優秀ですよね?
同じように生まれた時点で今生きている全ての人は優秀なんですよ。
だから、こうあるべきとか、こうでなきゃいけないとか、そういう常識とかおいておいて、今生きている、それだけで十分価値があるんだと思うんですよね。
どんなにダメ人間でも、どんなにクズ男でも、どんなにゴミみたいな性格でも、どんなクッソみたいな生き方の人でも、僕は生きているのだから価値があるのだと思うんです。
それで、そういう一般的にマイナス評価をされるような人ってのは、きっとそうなる環境に身を置いてしまったか、あるいは自分からそういう方向に行ってしまったのではないかと思うんです。
結局人は基本的には価値のあるいい人だと思うんですが、環境にかなり大きく依存し左右され、影響を受けながら、何も努力をしないでいると、どんどん悪い方へ行ってしまう性質なんだと思います。
だから、どんな人でも自分の望まない方向から脱する事は出来るし、誰でもいつからでもやり直しって出来ると思うんです。
まあ、これはある意味で自分自身に対しても言い聞かせている部分があるかも知れません。
だから、まずは悩んでいたり苦しんでいる事に対して一旦離れて、その悩みを考える前に今生きている事への感謝とか、今ある幸せな状況を数えることから始めて見ると意外と苦しんでいる事や悩んでいる事ってそんなに悲観するほどの事でも無かったり、もしくはそんなに考えなくてもいい事だったりするんじゃないかなと思います。
折角なんで、音楽の話に戻ると、楽器やDTMで伸び悩むって人は、1億人のビーチフラッグを勝った上に、楽器やDTMを手にして始めるのって、更に何万分の一じゃないですか。
つまり相当限られた人なんですよ、それを選んだって事は。
なので、思うような結果が得られなくても、とにかく生きていて、続けていれば、たとえ誰からも称賛が得られなくても、なんの生産性を生んでいなくても、生きていてそれをやっているって事が僕はとても価値のあることなんじゃないかなって思いました。
明日も何かしら書いていこうと思います!!
OK、DTM!!